生活音のみの動画を流しながらおうち時間を過ごしてみると、思いの外作業が捗ることに気付いた。
読書をたまにすることがある。
家でひとり無音の中、さぁ読むぞ、とソファーに腰を下ろしても数分としないうちに気が散漫になる。集中力がないのか、家の中に居たくないのか。おうち時間を楽しむために奮発したソファーも、これでは何とも可哀そう。
そうあぐねていた頃、ある動画に出会った。
料理をしている様子を、整頓されたキッチンで、手入れの行き届いた調理器具で、一般家庭でも馴染みのある野菜や肉魚で、和洋折衷、様々な素敵な料理に仕上げていく動画だ。
出来上がった料理を、これまた趣味の良い器に盛り付け、料理に合うお酒も並び…。
見ているだけでうっとりする。
それもそのはず、料理教室をされていた方の動画だった。
その方の動画を気付けば朝晩ずっと流している。時に身支度しながら、時にお風呂に浸かりながら。
そうしていると、自分も思わずキッチンに立ちたいと思うようになる。
心が変われば行動が変わる。
まさにその言葉そのもの。
外食の手軽さに甘えてしまい、そんな自分に甘えてしまい、これではいかんと思い、〇ックに、チョコに、ポテチに手が伸びる。
ダメと思えば思うほど沼にはまる。これぞ引き寄せ。
心が変われば行動が変わる。
そうなると自然、体が動く。取り合えず、好きな総菜であるキャロットラペを作る。カシューナッツを加えると食感も良くなりおやつ感覚でペロッと平らげる。
体が悦んでいる気がする。そんな気がした。
何日かそんな料理モードの日々が続いたある夜、その動画を聞きながらうたた寝をした。
野菜を洗う音、食材を切る包丁の音、下味を付ける音、炒める音、揚げる音、菜箸で盛り付ける音、食卓に並べる音。
すべて心地良い。
ふと思った。読書もこれなら出来るかも。
そして今日本当に久しぶりにおうち時間を堪能できた。
これなんだろう、なんでこんなに集中できるのだろう。
そして思い出した。
実家にいた時の、子供の頃のあの感覚だ。
台所で母が夕食の支度をする音を聞きながら過ごしていたあの感覚。ホッとする感覚。
合点がいった。
生活感のある音で集中力を高めることができると。
思えば電車やカフェで読書をすると3時間ほどで読了することもあった。
実際、そんな記事も目にしたことがあり、そうなんだと気に留めておくだけで、さほど興味をしめさず。
しかし今日のことで確信できた。
何事も経験からしか学べない。意識しないと変われない。
大袈裟かな。
動画に出会えて良かった。ありがとうございます。