※話の内容はあくまで子供時代の私視点の解釈です。事実とは異なることがあります。まずはご理解の上ご一読ください。
※やっさんとゆりちゃんもご理解よろしくお願いします。
世界に2人だけ取り残されたような気持ちになったのは後にも先にもこの時だけだ。
朝、誰に起こされるわけでもなく目が覚めた。家の中がやけに静かで薄暗かった。シーンとしたリビングに向かうが、灯りのついていない薄暗いリビングには誰もいない。私と妹だけ。時間は何時だっただろう。父がいないということは、仕事に行っている時間だろうが、当時大型トラックの運転手をしていたので、時間は普通のサラリーマンより早いと思われる。
夢なのか現実なのかぼんやりとした状態から徐々に目が覚め、強烈な不安の波が押し寄せてきた。どちらともなくシクシクと、そして次第に共鳴した音叉のようにワンワンと泣きわめいた。年齢がもっと上ならば、ゴミを捨てに行ってるかもとか庭に出ているのだろう、という発想ができたかもしれないが、幼い私と妹には、母がいない、ただそれのみが目の前に立ちはだかっていた。
記憶は眠っている間見る夢のようにブツ切りでしか覚えていない。実際どこに行っていたのか。大泣きしたところまでははっきりと覚えているが、肝心のその後のことが不明確だ。ここからは私のつたない記憶をたどって書きつづっていく。
母は某新興宗教の知人に誘われ出席したようだ。そこは早朝から集まり教えを学ぶらしい。ちょくちょくその団体の名前を聞いていたが、それが新興宗教だと知ったのは随分後のことだ。
それがいいことなのかいけないことなのか。母が行っているのだからきっといいことなのだろう。子供は親のすることは正しいと信じたいし実際信じている。絶大な信頼感を抱いている。親が世界。世界の中心が親だった。私もその例に漏れず信頼しきっていた。
大泣きした一件があったからだろうか、私と妹もその集まりに連れられて行った記憶がある。公民館のような所に座布団が敷き詰められ、大勢の大人の中に混じりジロジロ周りを見回していた。
そしてまたブツりと記憶が途切れている。
その今風に言う朝活は長くは続かなかった。おそらく弟を身籠り、私生活が忙しくなってきたからだろうか。推測の域を出ない。